出会い上手とか恋愛下手「出会い上手とか恋愛下手とかいう言葉を耳にしますが、具体的にどういう人が出会い、上手で、どういう人が下手、になるのでしょうか??」 本気になり過ぎず、自分の本性を巧みに隠し、相手の心を誘導し、緊張感を楽しんだり、深入りする前に引き際を弁えたり。 巧みな駆け引きと話術により、自分の手持ちのスタイルと相手の思惑を闘わせ、見栄とプライドを勝ち取る恋愛ゲームならば、上手・器用、下手・不器用ということになります。 自分を不器用だとか下手だとか言う人に限って、それを案外出会い、恋愛下手の自己正当化の言い訳にしています。 まるで器用な人間は皆小手先だけで、気持ちに重みがないかのように。 不器用で無口で表現ベタの方が、ドッシリとした温かみと芯の強い純粋さを持っているのだと誇らしげに言いたげなように。 でも、出会い、恋愛は元々上手下手を問うものじゃなく、器用不器用を評価するものでもないが、理由にする前に、突き動かされるほどの恋愛ならば熱意や誠意は伝わるはずです。 下手・不器用を理由に丁寧なプロセスを省いたり、怠ったりして上手くいくはずなどない。 結局その自分の言葉や態度が自分達の関係に跳ね返ってくるだけだから、気持ちをきちんと表現しないと。 それとは別に、出会い、恋をすると誰でも自分と相手のことで精一杯で、相手のことが好きであればあるほど、コントロールが利かなくなってしまったりします。 でも、恋って相手に自分を合わせるだけのものではないでしょう。 嫌われたくないばっかりに、相手の顔色を見たり、ご機嫌を取ったり。 恋愛って犠牲だと勘違いしてない? 「無理ができる」それが恋愛のバロメーターだとも思ってない? 無理しても愛せるから・・・究極な愛だ!なんて一人で自分の恋愛にヒタヒタ〜っと浸ってませんか? そこが、本当の恋愛上手と恋愛下手の違いです。 そしてそのボーダーラインは、好きな人と居なくても、時間を持て余すことがなく、楽しめるかどうか。 言い換えればそれはきちんと精神的に自立できているかどうかということ。 一人でもちゃんと楽しめることが基本、だけど二人でいるともっと楽しいから恋愛は素晴らしいと思えるのです。 相手に求めるものが多過ぎず、かといって独りでも良いなんて、意地を張らない。 それが出来て始めて、相手をきちんと尊重して、自分も二本の足で立つ。 どちらかに寄りかかるのではなく、どちらかが我慢するのでもない。 そこに恋愛の基本があるのです。 そしてもうひとつ大事なことは、ちゃんと自分を持っていること、自分を好きでいること。 自分のことが好きでもないのに、相手を好きになることなんて、ましてや幸せにすることなんてできないのですから。 出会い恋愛上手は、自分を大切にできる人です。 だからこそ、相手も大切にできる余力もあるし、相手に求め過ぎることもないのですよ。 後は目ですね。 選別眼というか、自己と相手の認識力です。 憧ればかりじゃ、恋愛なんて上手くいきません。 自分に無い物を相手に求める・相手が与えてくれるという期待幻想・相手も同じ事を自分に思っていてくれるのではないだろうかという勘違いが恋の始まりの正体ではある。 この妄想・幻想・勘違いと現実の差が大きければ大きい程、出会い、恋愛は上手くいかない。 恋愛下手と言われても致し方ないでしょう。。 戻る |